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心の性とは何なのか

体に性別があるように、心にも性別がある。体が男性で心が女性の人もいるし、逆の人もいる。今や当たり前になったこの考え方を、私はほんの数日前まで疑ったことはなかった。#トランス女性は女性です というハッシュタグにうんうんそうだよねと頷いていたし、それに異を唱えるツイートはそういうのTERFって言うんでしょ、と白眼視していた。が、いちとせしをりさんの騒動を経てこの考えが変わりつつあるので、現状の立場の表明としてこの記事を書くことにした。

 

そもそも、性別とは何か。体の方は分かりやすい。厳密な説明ではないが、ざっくり言って卵子を作るのが女、精子を作るのが男、としておこう。

では心の性、即ち性自認はどのようにして決められるのだろう。何を言っているんだ、自分を男と思うのが性自認男、女と思うのが性自認女だろう、とツッコミを入れられそうだが、私はそもそも「自分を男と思う」「自分を女と思う」の根拠が気になるのだ。私の考えを説明する上で、身体の性と心の性が異なる「トランスジェンダー」を2種類に分類しておく。

トランスセクシュアル

体の性別に違和感・嫌悪感があり、ホルモン注射やSRS(性別適合手術)を望む人

②狭義のトランスジェンダー

体の性別に違和感・嫌悪感がなく、ホルモン注射やSRSを望まない人

3種類に分類する説もあるし、各用語の定義は人によって多少異なる。この記事では簡便に上の定義を用いる。

トランスセクシュアル性自認の根拠は分かりやすい。自分の体に違和感があるのは、心の性が体の性と異なっているからであろう。

では、狭義トランスジェンダーの方はどうだろうか。調べてみて見かけたのは、例えば体は男性だがメイクがしたい、スカートが履きたい、やんちゃな遊びが苦手、といった根拠だった。が、私はこれにどうしても疑問を感じる。メイクがしたい。スカートが履きたい。やんちゃな遊びが苦手。確かにこれらは女性が社会的に期待される事柄――ジェンダーだが、どれも「女性であること」とイコールではない。これらに当てはまらない女性がいるのだから当然である。ここまで考えると、間違っているのは狭義トランスジェンダーの体の性ではなく、ジェンダーロールの方なのではないか、と思えてくる。男性はメイクをしてはいけない、スカートを履いてはいけない、やんちゃな遊びを好まなくてはいけない、そんなのはクソッタレだ。男性にだって、こうした「女らしい」嗜好を持つ権利がある。だが、これらの嗜好を持つからと言って「心が女性」だとはどうしても思えない。男性の体に違和感・嫌悪感がなく、メイクが好きなのであれば、それは「メイクが好きな男性」なのではないか?狭義トランスジェンダーと呼ばれる人の心の性は、実は身体の性と合致しているのではないか?最近このようなことを考えている。

 

狭義トランスジェンダーについては推測に過ぎないので、自分の性自認を例に考えてみようと思う。私が私を女だと自認しているのはなぜか。可愛い服やコスメが好きだから。サラダを人に取り分けるから。そんな理由では断じてない。私が私の体――女の体に違和感を感じていないから、としか説明できない。ここで1つの仮説が浮かび上がる。心の性とは、体の性との相対的な関係によってしか説明できないのではないか?すなわち、体の性に違和感がなければ体の性=心の性で、違和感があれば体の性≠心の性ということである。私はこの仮説がしっくり来ているが、もちろん異論は山ほどあると思う。心の性について、こんな根拠もあるよ、という方がいたらぜひ教えてください。

 

さて、このように考えると#トランス女性は女性です を全面的には受け入れられなくなってくる。トランス女性を名乗る人の中には、実はメイクやスカートが好きなだけの男性もいるのでは?と思っているからである。

さて、#トランス女性は女性です が法的にも認められるようになったらどうなるか。女性を自認していると名乗るだけで、どんな男性も――メイクやスカートが好きで、女性への加害欲を募らせているいちとせしをりさんのような人も――法的に女性となり、女性用スペースに入れるようになる。そんな世の中が私は恐ろしい。だが、そう言うだけで我々女はTERF(トランス排除的ラディカルフェミニスト)と罵られる。クソッタレな世の中だなぁと思う。現状、私は男性の体に違和感・嫌悪感があり、治療をしている人・望む人しか女性だと思うことはできない。身体女性もまた然りである。