オタク・ワンダーランド

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心を病んだ人とどう付き合うのが正解か

最近、いろいろな、それはもういろいろなことがあって、心を病んだ人との付き合い方について考える機会が増えた。こんなタイトルにしておいて何だが、正解などない。当然ないが、それでも、つい最近まで精神科に通っていた者として/周囲に同様の友人が多い者として、なんとかまとめた考えを記録しておきたい。

 

まず対象を二分する。

①大好きな人

②そうでもない人

ざっくりだが、これは重要だと思う。私は最近、人生の万事は「自分が幸福になれるか否か」で決断すべきだと痛感しているが、その基準で言うなら①は自殺されたら自分の幸福が大きく損なわれる人、②はそれほどではない人、ということだ。

 

結論が簡潔だから先に②のことを書く。周囲の、別に大好きではない人が心を病んだ場合、距離を置く。これがたぶん最適解。病んだ人と付き合うのは骨が折れる。相談に乗っていた人が引きずられるから「うつは伝染る」などと言うくらいだし、そうまでして親身になっているうちに依存されて大変な目に遭うこともままある。そうなってでも支えたいと思うほどの好意を抱いていないなら、その相手とは即距離を置くのが正解。最近私はこれで失敗した。別にこの人のこと好きなわけじゃないけど、知り合いが自殺したら後味悪いし……などと安易な考えで手を出して、結果自分の幸福を失った。馬鹿者め。「後味悪い」くらいで自分の幸福を差し出してはならない。対象が自殺しても「後味悪い」程度なら、サクっとSNSをミュートしてLINEを未読無視することを強くおすすめする。

 

さて、問題は①の方。大好きな人が心を病んでしまったら、自殺を防ぐために手を尽くす他ない。話を聞くとか、通院を勧めるとか、悪い環境から切り離すとか、そういう当たり前のことの他に、意外と大事なことがあると思う。「あなたがいなくなったら私が悲しい」と伝え続けること。そんなの友達や家族なら当たり前だと思われるかもしれないが、病んでいる人にはこれが分からない。極論、どんなに貧乏だろうが仕事が辛かろうが、誰かに愛されていることを実感している限り人は自死を選ばないのではないかと思う。誰にも愛されていないと思うことが、孤独が人を死に走らせるのではないか。仮定の話ばかりしていても仕方ないから、私が自殺未遂をした時の話をしよう。

 

冬の夜だった。悪い条件が揃っていた。私はシャンプーをするのがとにかく嫌いで、その日も湯船に浸かってから頭を洗えないまま数時間が経過していた。無為にスマホをいじっている内にバッテリーがなくなって、Twitterを見られなくなった。私はTwitterが大好きだ。好きな人たちが生きている様を感じられるし、ボロボロの私に励ましのリプライをくれる人もいる。リアルに友達がろくにいない私にとって、Twitterは唯一の世界との繋がりだ。それが切れる。と、私はとたんに孤独になる。悪い考えがぐるぐる回る。とっくにガスが切れてぬるくなったお湯が見える。ああ、お風呂でうっかり寝て死ぬ人がいるってよく言うよな。寝れば溺死できるんだ。頭も洗わなくて済むし、このまま寝るなんて簡単だな。そうしてぬるいお湯に顔まで沈んで眠りについて、翌朝冷水の中で発見された。途中鼻に水が入って起きる、また寝る、を何度か繰り返した覚えがある。死ななかったのはたまたまだろう。

 

Twitterが見られなくなったから。そんなショボい理由でも、病んだ人はぐらりと死を選ぶ。孤独が人を殺すということの一例に過ぎないが、多少は納得してもらえただろうか。

 

では具体的にどうすればいいか。先に話したことに戻るが、「あなたを愛している、あなたに死なれたら私が悲しい」ということをマメに伝え続けるしか、ないんだと思う。自殺未遂をしたことは数回あるが、自分が死んだら悲しむ人がいるなんてことは、一度たりとも脳裏をよぎらなかった。死んだら楽になるという短絡的な思考しかできない状態だから自殺などという選択ができるのだ。だから、そうなってしまわないようにストップをかけようという話。死を選ぶほどの苦しみを取り除くことは、他人にはなかなかできない。あなたが死んだら私が悲しいなんてエゴだ。私が悲しまないようにあなたが苦しくても生きてくれなんてエゴエゴのエゴだ。でもそれを伝える価値はきっとある。だから大好きな人が病んでいる時は、そのエゴをぶつけてやることを検討してみてほしい。

 

ここまでが結論。ここから先は、もしこれを大好きな人に自殺されてしまった人が読んでいたら、という補足だ。こんなことを書いてしまうと、「私が好きってちゃんと言わなかったから死なせてしまったんだ」などと自責の念が強まるかもしれないから。それは違うとだけ言わせてほしい。理由なんか上手く言えないが、もし私が自殺に成功していて、私のせいだと泣いている家族や友達を見たら、そんなワケあるかと怒っていたと思う。私のせいだと泣くことは、故人を、自分で選んだことを他人のせいにする人間だと侮辱することのような気がする。まったく上手くまとまらなかった。こんなフォローをしたところで自責は消えないと思うが書いておかないわけにはいかないので。

 

ハイ。以上です。ぐだぐだだけど私は元気です。生きていると毎日ご飯が美味しくて幸せだなあと最近しみじみ思います。みんないっぱいご飯食べていっぱい寝て元気でいようね。