オタク・ワンダーランド

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キャリアを考えるお年頃

新卒の3割超が3年以内に離職する時代。新卒3年目のわたくしも、もちろん転職を考えております。そもそも、私は今の会社を就職仮面浪人前提で選んだため(注)全然愛着がなく、入社1日目から転職は視野に入っています。

(注)本当は大学在学中に公認会計士試験に合格して、新卒で監査法人に入りたかった。でも合格できなかったので、働きながら受験をするためにとにかく実家から近くて残業が少ない会社を選んだ

現在も公認会計士試験に向けた勉強はしているのですが、会計士にならないとやれないこと(=監査業務)に興味はなく、監査法人からの転職を前提とするなら、辛い勉強に耐えてまで監査法人を経る必要はないのでは……?とまる1日勉強をサボって悩んでいました。ひとりで悩んでも結論が出なかったので、某キャリア系コーチングの初回無料体験を受けてみて、いろいろ面白い気付きがありました。せっかくなので忘れないように書き留めておこう、というのがこの記事の主旨です。

 

私の祈り

魔法少女まどか☆マギカ』において、魔法少女の能力には魔法少女になる際の祈りが反映されています。例えば美樹さやかの治癒能力は、幼馴染の体を治す祈りに由来します。どうして突然まどマギの話を始めちまったかというと、祈りは人の根源だと思っている、いう話をしたかったからです。人の行いにはたいてい(もちろん矛盾もある)通底する行動原理や思想――それを「祈り」と仮称します――があると思っています。

「祈り」は、成育歴やトラウマ等から来る、人の数だけあるものです。では、私の「祈り」は何かと考えた時、浮かぶのは「誰も、誰かを踏みにじらない社会」です。急に社会レベルのデカい話になってしまったので、個人レベルの話に分解すると、この「祈り」の由来は当然踏みにじられた経験です。その9割くらいは痴漢だと思います。私は中高生だった6年間、週に複数回の頻度で痴漢に遭っていました。自分の体を他人のために同意なく利用される経験や、立件方法について調べて「女のでっち上げかもしれないのに捕まえる加勢なんかできない」といった言説を目にしたことは、若くて脆い人間の心をへし折るには十分でした。同意なく、しかも未成年に性的な加害をした人間のことは、もちろん怖いです。でも、もっと怖いのは「痴漢被害がなんだ、俺たちだって冤罪のリスクに晒されているんだぞ」と非難してくる男性たちでした。

satanix.hatenablog.com

この記事はありがたいことにとても多くの人に読んでもらえて、とても多くの反応をいただきました。記事の中で、冤罪というものはそう簡単にでっち上げることはできず、多くの男性は過剰に恐れている、と詳しく述べたつもりですが、それでも冤罪が冤罪が、というブコメや匿名メッセージをたくさん受け取りました。なぜでしょうか。もちろん冤罪は問題です。でも、女が痴漢について語るとき、冤罪が、と私たちの口を塞ごうとする男性が必ず現れるのです。冤罪を問題視するなら、それは別のところで訴えるなり考えるなりすればいいのに、彼らはそれをしません。冤罪は、彼らにとって女の口を塞ぐツールでしかないのかもしれない。そうまでして女を踏みにじりたい男性が少なからずいることは、私にとってずっと大きな恐怖です。

でも、もっともっと怖いのは、私も彼らのように、誰かを踏みにじってしまっているかもしれないことです。例えば、私は奨学金を借りずに私大に進学しました。家が裕福だったからです。日本の高校生のうち、大学に進学できるのは半分だけ。そのさらに半分は、奨学金を借りて返済に苦しんでいる。単純計算でも、私は上位1/4の恵まれた人間です。そのことを知っていても誰かにイヤな思いをさせてしまうことはあるだろうけど、知らなかったら確実にもっとイヤな思いをさせてしまう。だから、私は世の中のことをちゃんと知りたいんです。

引用元 『青野くんに触りたいから死にたい』6巻

引用させてもらったのは『青野くんに触りたいから死にたい』の大大大好きなシーンです。人の心はいろんな場所にあります。私が足でうっかり踏んじゃう場所に、誰かの心があるかもしれない。誰かの心を踏んじゃわないように歩きたいし、私も誰かに踏まれたくないから、みんながそういう風に歩いてほしい。私の、「誰も、誰かを踏みにじらない社会」という祈りはそういうことです。

 

祈りとキャリアをどう繋げるか

盛大に脇道に逸れましたが、ここでようやくキャリアに戻ります。仕事は1日8時間もしなきゃいけないので、できれば「祈り」と結合した、やりがいのあるものであるべきだと思っています。が、ここでクソデカい矛盾が生じます。私の「祈り」を直接的に叶えるならば、社会学とか福祉とか、そういう方向を目指すべきだったと思うのですが、私は「祈り」と同じくらいお金のことが大切です。お金が大好きなんです。お金はほぼ万物と換えられる万能資産だからです。「若いうちの苦労は買ってでもしろ」というバカみてーな言葉がありますが、むしろ「金で排除できる苦労は排除した方がいいに決まってる」が私の思想です。でも、社会学や福祉は金にならなそう。だから安直に稼げそうな経済系に進んで、公認会計士なんかを志してしまったのです。

そんな安直な選択のために、クソデカい地割れが私の足元に広がっています。やりたいこと(祈り)と、やれること(財務会計系)の間にクソデカい断絶があるのです。この断絶は、どうにかして埋めることができるのでしょうか?例えば外資コンサルでクソ稼いで孤児院を作るとか、公認会計士の茶谷先生としてクソ名声を得て選挙に出るとか、やりようはあると思います。ただ実現可能性がエクストリームハード。なんかこう……もうちょいイージーなの……ありませんか?マジで困っています。こういうのってどうしたら解決できるんだろうね。ちなみにコーチングを次回以降有料で受けるコースは数十万するので却下です。誰か助けてくれ~~~~!