オタク・ワンダーランド

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幸せの定義を考える

お年頃なので、幸せとは何か、最高の人生とはどんなものか……といったことを近頃よく考えます。

このブログでもたびたび?言及している通り、私は幸せをうまく定義できずに迷走しています。そんな中、いつも良くしてもらっているご老人にかけられた言葉が衝撃的で、ずっと反芻しています。

「会社辞めるのはよく考えなさい。これまで最高の人生歩んできてるんだから、そこから外れるのはもったいないよ」

自分の人生を最高だと思ったことがなかったので、ものすんごく驚きました。だって自分を端的に形容せよと言われたら、真っ先に出てくるのは「落伍者」というワードです。高校が進学校だったので、周りの友人は過半数が東大卒OR医学部在学で、東大卒外資コンサル2年目年収2000万なんて話も聞きます。かたや私は早慶卒、地方の大手企業(笑)で年収なんか四捨五入したら0百万円。教育ママの母には東大に行ってほしかった……と一生責められていて、塊・オブ・コンプレックスです。生きているのが毎日恥ずかしい!

でも、私の人生も田舎のご老人からしたら「最高」なのか……と考えてみたところ、私の不幸の真因は、自分の幸せを他人と比べて相対評価していることかも、と思い当たりました。もし私が外資コンサル年収2000万になれたとて、今度は新たに視野に入ってくる年収5000万を羨みだすと思うのです。私の人生アニメ・プリマジに、「自分の進む道、運命を他者に委ねては一生振り回されることになる」というセリフがあるのですが、まさに本質。他人より上であることを幸せの定義にしてしまったら、登れど登れどより上の人間を見上げて苦しむばかり。そうじゃなくて……なんだろうな。もっと絶対的に自分を認める?ってなんだろう……結局よく分かんないな!

幸せになりたいなら、少なくともインターネットはやめるべき。でもインターネットは呪いでもあり、救いでもある……。

 

これ関連でついでに話しておきたいのが、老子の「足るを知る」です。老子にわかなので解釈に誤りがあるかもしれませんが、「今十分である・満たされていることを自覚する」的な意味だと勝手に思っています。

ここで猫を見ましょう。

腹いっぱいでぬくぬく寝ているところを、ナデナデしてもらって非常に幸せそうです。これって動物に共通の幸せなのかもしれない。お腹がいっぱいで、寒くなくて、誰かに愛されている。幸せをそう定義すれば、今の私は十二分に幸せで、それを自覚することが「足るを知る」なんだと思います。多くの人間はとっくに幸せを得ているのに、セリーヌのバッグがほしいとか港区のタワマンに住みたいとか、それ以上を望むから勝手に不幸になってしまうのです。これは昨年末に友達と蟹を食っていた時、友達が「来年もこの蟹が食べられればいいや」と言っていたのがしみじみと良くて考えたこと。蟹……はちょっと贅沢だけど、私が幸せだな~と感じるのは、ニンニク入れる入れないでぐだぐだ言いながら友達とラーメン食べてる時とか、アメ横で昼酒してるおっさんたちを眺めながらケバブ立ち食いする時とかなんです。なんだ、結論出たじゃん。しあわせの青い鳥は、ぼくたちの家にいたんだね。